異文化適応における「感情」の行方

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異文化適応の専門家がこんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、文化って本当に面倒くさいなと思うことがあります。


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ある日の野球中継で、ひとりの選手が大きなミスをしてベンチで涙を流しているところが映し出されました。
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悔しくて、自分が情けなくて自然に流れた涙だなあと思っていたのですが、
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そこでご年配のテレビの解説者が
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「試合中に涙なんて見せるべきではない」
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とおっしゃったのです。
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その一言に「なんで泣いたらダメなの?」と僕は強烈なモヤモヤを感じたのです。
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ある国で現地の同僚やパートナーたちと会議をしているとき
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「あなた(=僕)の話は受け入れられない」
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「あなた(=僕)は間違っている」
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と激しい怒気を含んだ言い方で言われたことがあります。
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一方で、別の国で同じような場面があったとき、相手の言いたいことは上と同じく
​
「あなた(=僕)の話に賛同できない」
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なのですが、そんな直接的な言い方ではない上、お相手の顔には微笑みすら浮かんでいたりするのです。
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考えてみると、腹が立つことも、悔しいことも、人間ならどこでも起こります。
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でも、その感情をどう表に出すのが「適切」なのかについては、国や地域、さらには世代や個人によっても違うのだと思うのです。

 

一般的な話ですが、日本人と会議をしていると、誰かが誰かをあからさまに批判したり、感情をぶつける場面には滅多にお目にかかりません。
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そんなことをすると「問題児」「トラブルメーカー」などという有り難くないレッテルをはられますし、
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腹のたつ状況であっても必死でこらえることが「大人な対応」だと捉えられます。
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その一方で、腹が立って仕方がないという感情が僕の中で湧き上がっているのを自覚しつつ、あるとき僕は必死に自分を抑えて「大人な対応」をしました。
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それなのに現地のスタッフの間では
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「コウイチは何を考えているかよくわからない」
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なんて認識が広まっていて愕然としたこともあります。
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僕は懸命に「周囲に配慮した」つもりだったのに、相手には「何も伝えてくれない人」に映っていたのです。

いわゆる個人主義的な性質や、対等な関係を重視する人は

「自分の感情を隠さずに表現してスッキリする」

というように「意識の矢印」が自分に向いています。

そのような人の多い社会では、そんな正直さ、率直さを歓迎する傾向があり、それが相手を信頼するかどうかを測るモノサシになることもあります。


​その一方で
​
「その感情を表に出したとき、周囲にどう影響するか」
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のほうが大切にされることもあります。
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​そこでは場の雰囲気を壊さないこと、上下関係を乱さないこと、周囲との調和を保つことが優先されるため
​
自分の感情を出すより先に、「意識の矢印」を周りへ向けることが求められるわけです。
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冒頭の野球中継の場面。
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「試合中に涙なんて見せるべきではない」
​
というご年配のテレビ解説者の言葉の裏には
​
「男子たる者、人前で涙を見せてはいけない」
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という、一昔前までよく言われていた社会通念がテレビ解説者自身の価値観にあるのかな、と思いました。
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​一昔前の僕がその選手と同じ立場なら、そんな社会通念に従って
​
「人前で泣いてはダメだ、みっともない」
​
と僕も必死で涙を堪えたかもしれません。
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文化や社会通念というのは
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自分の意思では押しとどめられない「感情をどう対処すべきか」に影響を及ぼしてしまうのだなと改めて思います。
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ところによっては自分の感情をコントロールする過程で「周りにどう映ってしまうか」が優先されてしまい、
​
本来の自分の感情を置いてけぼりにした対応をしなければならないことがあるということです。
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🇯🇵 明日から僕は日本へ約2週間の出張です。
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「僕の留守中、迷惑かけるね、悪いね」
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なんて言って回っているのですが
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「コウイチ、あんた、全然悪いって思ってないでしょう」
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なんて言われております。


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こんな時、「迷惑かけて申し訳ない気持ちでいっぱい」の表情をしなければならないのかもしれませんが、いまの僕には無理。。。
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南アフリカに来て一年半ぶりの日本なので、僕の顔はどこかニヤけているのだと思います。