『どの民族にも、どうしてもそこに帰っていく味がある。その味は異邦人に対してはどこか恥ずかしく、それでいて誇りたく、何かデリケートなものかもしれない』
『長い旅の途上』で著者・星野道夫さんはそうおっしゃっていました。
訪れた土地で、そこで「誇り」とされている伝統料理をいただくことがありますが、それが「自分の口に合わないとき」にどう反応するかは大変悩ましい問題です。
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沖縄で学生だったとき、家庭教師のアルバイトをしていたことがあります。
地元同級生の親戚のお宅で、そのご家族にいつも親切にしていただき、家庭教師があるときは夕飯までごちそうになっていました。
同級生からそのご家族に「オカベはチャー食べるよ(いっぱい食べるよ)」という情報がいっていたようで
「ふーチャンプルー(麩の炒め物)」
「中身汁(豚のモツの汁物)」
「クーブイリチー(昆布の炒め物)」
などたくさんの家庭料理と、1升炊きの炊飯ジャーに満杯のご飯をいつも用意してくださっていて。
申し訳ないなあと思いつつ、週二回の家庭教師のときにいただく夕食をいつも楽しみにしていました。

そんなある日、出てきたのが「ヤギ刺し」でした。
沖縄の伝統料理でヤギ肉のお刺身です。
それまでヤギ刺しを食べたことがなく、へえ珍しいなあ、「馬刺し」のようなものなのかな~
「いただきま~す」とパクっと一口入れたとたん、強烈な、これまで味わったことがないクセを感じました。
「うぅっ、こ、これはムリなやつだ!」
でもそこは同級生の親戚のお宅で、粗相をするわけにはいかず。
ヤギ肉を歯で噛まないよう
「いやあ、おいひいへふへ~(おいしいですね)」
とか言いながら、他のおかずや汁物と一緒に流し込むようにいただいて事なきを得ました。
ただ、この日の僕は「ヤギ肉を流し込むために」いつもにもましてご飯をたくさんおかわりしてしまい、それを見たご家族は
「オカベさん、ヤギ刺しをとっても気に入ったようだ」
と思ったようなのです。
当時、焼肉屋さんでは「ご飯が来るまでお肉は焼かない」のが僕の鉄則で、お肉2切れでお茶碗一杯のペースで食べていました。
そのときもそんな勢いでヤギ肉とご飯を一緒にいただいた僕の姿にご家族が感動してしまったようで。
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それからしばらく経ったある日、またしてもヤギ刺しが、「これ、3人前ですか?」という量のヤギが僕のお膳に鎮座していたとき
僕はどういう顔をして、何と言ってそのときの「うれしさ」を表現したのか記憶がありません。
席についたときから、お父さん、お母さん、子供たち、「おじい」「おばあ」から
「点線の視線」
を感じるのです。
わったーうちなーの(私たち沖縄の)伝統料理ヤギ刺しを、内地から来た若者が大喜びで食べてくれる
またあの食べっぷりが見られるのか
それを「いまか、いまか」と待ち受けているような
「さあヤギ食べて~、ご飯もいっぱい食べて~!」と
心の中で指笛鳴らして「かちゃーしー(沖縄の踊り)」を踊りながら
じぃっと固唾をのんでチラチラ僕の食べ方を観察しているような、そんな視線です。
誰が言ったか忘れましたが
『我慢できなくなってからするのが本当の我慢』
という言葉を思い出し
その言葉を励みにライオンになった気持ちでヤギ肉を頬張り
なんとか白目をむくことなく食べ終えたときの達成感は言葉になりませんでした。
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その土地の伝統料理にかぎらず、相手が精いっぱいの気持ちで用意してくださっている料理。
それがやむをえず自分の口にあわないとき、星野道夫さんもおっしゃる通り確かにこれはデリケートな問題です。相手の悲しむ顔は見たくないですもんね。
ちなみにヤギ刺しはそのご家庭での修行を経て、いつしかそのお肉のクセがたまらなく好きになり、
なおさらたくさんご飯をおかわりしながらいただけるようになりました。
今では沖縄に「里帰り」するたびにいただく一品です。

