「Yes・・But・・」より「Yes・・And・・」

自己主張-自己アピール-ハイコンテクスト-ローコンテクスト-異文化理解-異文化コミュニケーション-異文化マネジメント-異文化適応-Yes-But-And

コミュニケーションで大事なこととして、相手のことを一旦「Yes」で受け止め承認した上で「But」で自分の意見を述べるべし。

相手のことをはなから否定するのではなく、相手への敬意を表し、相手の立場や意見を尊重することが大事で、そのために

「まずYesと言いなさい」と。

「Yes」で相手の意見で理解できる部分・賛同できる部分を示す
「Yes」で相手のいいところを褒める

それから「But・・」で相手に反論したり批判したり、あるときにはお説教をする。

なんだかもっともらしいのですが、僕はどうしてもこの「Yes・・But・・」構文にモヤモヤを禁じ得ません。「Yes」を言われている時から僕は気持ちが落ち着かないのです。

「Yes」でこちらの意見を受け入れてくれているような、こちらのことを理解してくれているような、僕のことを褒めるようなことを言われながらも、相手の「Yes・・」の話ぶりから

「あ、この後Butで何か来るな」

と感じることがしょっちゅうなのです。

そしてフタを開けてみたら果たしてその通りで、「But」の後は

僕に何が足りないか
僕の考えのどこが浅はかなのか
僕の意見の何がおかしいか
僕がどうすべきだったか

の話がわんさか出てくるわけです。

僕も根が単純なので「Yes」で有頂天になってしまうことがあるのですが

その後の「But」を聞いていると、なんだか一気に落とし穴に落とされて、上から「バーカ」と言われているような感覚になることもあります。

それで余計にガッカリしてしまったり、情けない気持ちだけがどんどん膨らんでいったり。

だから「Yes・・But・・」の「Yes」の部分を聞きながら

「結局、僕を批判したいんじゃないの」
「結局、僕に文句言いたいんじゃないの」

と「But」が来る前から身構えています、落とし穴に落とされないように。

「Yes」の部分は、なんだか見え見えの隠し球を見せられているようで、時として相手が滑稽に見えますし、そんな相手とのコミュニケーションを苦痛に感じることさえあります。

「まどろっこしいYesの社交辞令なんかやめて
Butの後の部分を最初から言えばいいのに」

と僕は思ってしまうのです。

見かけ倒しの「Yes」
口先だけの「Yes」

ってなんの意味があるのかと疑問に思うのは僕だけでしょうか?

これに関してはいつからか、「お、この方がいいな」と思うやり方があって、僕も何とか習得を試みているのですが、

それは
「Yes・・But・・」ではなくて
「Yes・・And ・・」です。

つまり内容は相手を否定したり、相手の意見への反論であっても、それを「But」ではなく「And」で言うのです。

これを意識し始めたのはヨルダンにいた頃で、今いる南アフリカでも「Yes・・And・・」の人が周りにたくさんいて勉強させてもらっています。

例えば最近の会議で出てきたのは

・「Yes, that’s a great idea, AND we could also consider・・・」
(うん、いいアイデアだね!そして・・・も考えられるんじゃない?)

・「Yes, I agree with you, AND just to add another view points・・・」
(うん、あなたに賛成。そして・・・のことも考えよう)

こんなこと気にする人ってあまりいないのかもしれませんが、僕はこの「Yes・・And・・」が超お気に入りです。

もちろん場面によっては「Yes・・But・・」や、いきなり「But」で入った方がいいこともあると思います。

それでもできるだけ僕は「Yes・・And・・」が自然に出るようになりたいなと。

なぜならお互い否定してないから気分がいいし、建設的なやり取りに聞こえるからです。

嫌いだとかモヤモヤすると言いながら、僕はまだつい「Yes・・But・・」でやっちゃっていることもあり、もっと「Yes・・And・・」を自分の中で定着させたいと思っているところです。