海外とのオンライン会議(2)沈黙の意味

前回の投稿に続き、海外とのオンライン会議について考えます。

今回は「沈黙」についてですが、この投稿でも日本とヨルダンとの間におけるオンライン会議の実態を振り返りつつ、文化の異なる相手とのコミュニケーションがお互いどのような影響を及ぼすかを考察します。

「沈黙」といっても様々なタイプの「沈黙」があります。ここでは3つ挙げていますが、それらの整理も一緒に考えていきます。

日本人にとっての「沈黙」の意味

出席しているだけで何も発言しない「沈黙」

日本人とのオンライン会議で目立つのは、参加している人は多いのに、最初から最後まで全く何も話さない、ずっと「沈黙」している人が多いということです。

彼・彼女達はオンライン会議の冒頭で自己紹介をしただけで、その後会議が終わるまで一言も発言しないのです。

前回の投稿に示したとおり、日本人の一般的な会話の特徴として「相手が話している間は黙って聞く」ことがあります。

しかし、それにしても最初から最後まで何も言わずに座っているだけ、というのは奇妙といえば奇妙です。

この人達はただ自分の関係する案件だから「参加しているだけ」です。もしかすると何か言いたいことがあるのかもしれませんが、

「上司が参加しているから自分は何も言えない、言わなくていい」
「自分が余計な発言をして混乱を招きたくない」

ことの方を重視しているのではないでしょうか。

発言する前に「考え中」であることを示す「沈黙」

相手の話が終わって、「間(ま)」というよりも「沈黙」といったほうがいいほど、会話の中で数秒の間「シーン」とすることもあります。

日本人にとってこういった「沈黙」を入れることは様々な意味があります。

相手の発言への敬意をあらわす
相手の言ったことを噛みしめる(ふりをする)
何を、どのように言うか「考え中」であったり

海外とのオンライン会議では英語で何と返事しようかと頭の中で「英作文」中

だったりします。

ですから、表面上は何も言っていない、何も発生していない状況ですが、参加者の心の中、頭の中ではすさまじく会話が続いているものなのです。

「NO」の意思表示としての「沈黙」

「沈黙」の極めつけは「NO!」という意思表示です。

NO!と言いたいのをグッとまずは我慢して、どうやって「NO」というかをしっかり考えて発言します。

相手を傷つけることのないように、
相手のメンツを汚さないように、
また相手とケンカになってしまわないように、

相手との会話で「沈黙」「間」を置くことで、相手との関係を損なわないような発言内容を考えるのです。

あるいは、「沈黙」を置くことで「こちらのNOを察してもらえないかなあ」などと考えているのです。

 

ヨルダン人にとっての「沈黙」の意味

エリン・メイヤー氏の著作『異文化理解力』によると、日本人はもちろんのこと、ヨルダン人を含むアラブ人も間接的なコミュニケーションをする傾向があるとのことです。

要は、相手との関係やメンツを重んじて、言いにくいことは直接的な言い方を避けるということです。

実際、ヨルダンではこの「沈黙によるNOの意思表示」は日常会話で普通に行われていますので、私、日本人にとっても理解しやすいのです。

「あ、黙っちゃった。。。ダメなんだな」

というのがわかりますし、後で確認するとやはり
「NO」という意味だったことが判明することが
ほとんどです。

「おい、なんで黙ってる?
YESかNOか、どっちなんだ!?」

なんていう野暮なツッコミを入れなければ関係が壊れることがないのも日本と同じです。

日本との会議で問題になるのは、上で挙げた

1)出席しているだけで何も発言しない「沈黙」
2)発言する前に「考え中」であることを示す「沈黙」

に対するヨルダン人の解釈です。

まず、

1)出席しているだけで何も発言しない「沈黙」ですが、

オンライン会議のスクリーンで6-7人の日本人の顔が常時画面に映し出される中で、実際に発言しているのは2,3人だけというのはよくあることです。

会議が終わってから、ヨルダン側の参加者が私に決まって言うことは以下のようなことです。

「あの何も話しなかった人は、関係者なのか?」
「なんでずっと黙って座っているのか?」
「なんであの人達は参加しているのか?」

彼・彼女等は教養がないに違いない
アホはいらんので、次からあいつらは呼ぶな
何も発言することがなければ、会議なんか出なきゃいい
無関係なヤツを次から会議に呼ばないでくれ

と、言葉は悪いですが、そういうことだそうです。

 

 

2)の日本人が発言する前に「考え中」であることを示す「沈黙」は、前回の投稿で触れた通り会話のテンポが狂うとして、ヨルダン人は非常に嫌がります。

そして表面的には何も発言がないので、ヨルダン側は

日本側は何も考えていない
日本側はこちらの話に関心がない

という解釈をするのです。

オンライン会議だけでなく、対面の会議でもそうですが、日本人との会議でヨルダン人が最も戸惑うのは「沈黙」であり、前回投稿の「間(ま)」です。

日本人は何も意地悪で「沈黙」したり、何も考えないで「間(ま)」を空けたりしているのでは
ないのですが、海外ではどうしても悪く解釈されてしまう傾向があるようです。

海外とのオンライン会議で「沈黙は金ではない」

上に述べたとおり、ヨルダン人も日本人と同じく「NO」という意思表示を「沈黙」で示すことがよくあるのは事実です。

しかし相手が外国人である場合、それほどお互いをよく知らない間柄の場合は特に相手の「沈黙」をどう解釈するかは非常に難しいと考えています。

例えば、相手側が何かの提案をしてきたとしましょう。

発案した側が

「これはお互いにとって素晴らしい提案だ。日本側ももちろん乗ってくるだろう」

と考えている場合、日本側の「沈黙」を

文句が出なかったから、YESなんだろう

と都合よく解釈してしまうことがあるのです。

オンライン会議では、画面を通して見えるのは相手の顔だけですし、相手側のその場の雰囲気というのものが把握しにくいです。

さらに、ヨルダンと日本とのオンライン会議では、ヨルダン側の通信回線が調子悪いときなど、マイク機能だけ残して画面は消すこともあります。

そうなると、声しか相手の意図をさぐる手がかりがなくなってしまい、相手の表情などから本心を読むこともできなくなり、ますますお互いの理解が難しくなります。

オンライン会議というのは、欧米など直接的なコミュニケーションをする人たち、つまり自分の意図を明確に言葉で話す人達にとっては便利だろうなと思います。

声で伝わってくることが聞き取れている限り相手の意図もわかりますし、こちらも同じく言葉で思っていることをそのまま返すことでコミュニケーションが成立するからです。

しかし、

日本やアジア、アフリカ、中東、南米など、空気を読んだり、言いにくいことを間接的に伝えるコミュニケーションをする人との間では、オンライン会議は非常に難しいといえると思います。

「沈黙は金」という言葉がありますが、少なくとも異文化間でのオンライン会議では「沈黙は金」ではないと、つくづく痛感させられる日々です。

(参考文献)

エリン・メイヤー著『異文化理解力』英知出版